瀬戸内海 東から西へ

瀬戸内海の渡し船 全部乗ります

瀬戸内海の橋、端から端まで

島に行く手段にはさまざまあるが、その一つに、橋を渡るというのがある。 
橋は勿論、海以外の陸地にも架かっているが、海を隔てた島に架かる橋はまた格別であると思う。
橋にはまず土木建築としての美しさがある。
構造計算というのか、力学的にきちんと計算され、構築された橋には、威厳に近いものがある。

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その形態や規模もさまざまで、橋上からの眺めも大概素晴らしい。
行ける島に全部行くとなると、島に架かっている橋は、端から端まで全部渡るということになる。
渡船があって橋も架かっていたら、船にも乗るし橋も渡る。
瀬戸内海の島に架かる橋は何本くらいあるのだろう。
島に渡るための橋以外にも、瀬戸内海に注ぎ込む川の河口に架けられた橋などもカウントすれば、かなりの数になるはずだ。

瀬戸大橋を中心にした岡山県香川県沿岸の旅程を考えていて、岡山市の南の海沿いにある宇野あたりを調べていた。宇野は、かつて本州と四国を繋ぐ宇高連絡船の本州側の港で、瀬戸大橋が開通するまで、四国に渡るルートの中心を担っていた都市だ。
今は1日数往復のフェリーが行き来するだけ。

瀬戸内海の島を東から西にくまなく巡るにあたって、島に行く以外にできるだけ見に行くつもりのものがある。
勿論、島に行くというのが第一目標ではあるが、せっかくの機会なので、気になるものについては、できるだけ見に行きたいと思っている。
ただし、島に行くのが最優先です。

 見に行きたいもの。
国宝の建造物、伝統的建造物群保存地区、歌枕、造り酒屋、古い西洋館、などなど。
土木学会選奨土木遺産というのがある。
土木遺産とは、幕末から昭和20年代につくられた、保存すべき歴史的土木構造物とのこと。
瀬戸内海に関係するものでいえば、灯台、砲台、防波堤、隧道(トンネル)など。
それから、橋。
著名なそれらは、ネットで簡単に調べられる。それらは代表的な土木構造物と認められた物件であるだけに、どれも一見の価値のあるものなのだろう。
しかし、著名でなくても、わざわざ見に行くべき、心ときめく建造物がほかにもあるはずだ。
そう思って、各地方公共団体のHPの文化財のサイトをくまなく見る。
「市指定文化財のリスト」なども全部見る。
宇野(行政区分では玉野市)の文化財を探していたとき、偶然、地方史を趣味で調べている人のサイトを覗いた。こまごまとした郷土の歴史といった内容を根気よく閲覧していると、運河に架かった橋の記事が目に留まった。
それは、現在は使われていないというコンクリート製のアーチ型の橋で、骨組みだけが残った、残骸のような橋だった。気になったのは、アーチ橋の円の頂点部分が、崩落したのか、途中で途切れていたことだった。
こっち岸とあっち岸と、骨組みを伸ばしていって、もう少しで繋がる、その完成手前の建設途中のような姿で、橋の真ん中だけが、すぱっと切り取られたように途切れている。

いろいろ調べてみると、そのあたりはかつて製塩業で栄えたところで、その橋の架かっているのは、広大な塩田の中に造られた運河のようだった。いまは、塩田などとっくになくなって、だだっ広い空き地が続いていたり、太陽光パネルがびっしり配置されたりしている。
今はもう橋とは言えないようなその橋が、どうも気になった。
土木遺産には認定されていないが、なんだかとても心惹かれた。
この橋の存在は、勝手なことを言わせてもらうと、発見であり、偶然とはいえ、この橋を発見したことに言いようのない高揚を覚えた。
宇野からのバス便を調べてみると、玉野市のコミュニティーバスで近くまで行けることが分かった。宇野駅から20分ほど、ほぼ1時間半に1本。料金は100円。
心は動いたものの、見に行くかどうかかなり迷った。
島以外もいろいろ見て回りたいとは言え、時間もお金も無限にあるというわけではないわけだし、島巡りを完遂するためには、少しでも先を急ぐというのが鉄則だという思いはある。
慌てる必要はないが、先を急ぐ旅なのだ。
1日数本のバスをうまく組み合わせて行ったとしても、半日近く時間を使うことになる。
そこまでして、わざわざ見に行くべき橋なのか。
そんな時間があるのなら、1つでも多く島へ行くべきではないのか。

海岸線から少し内陸に広がる住宅地にある停留所を降り、運河沿いに海岸に向かうと、その橋はあった。
橋を見た第一印象は、こういう残骸がなぜ撤去されずに残されているのだろう、ということだ。

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それにしても、幅数メートルの運河に架かったこの橋の優雅さはどうだろう。
なぜそうすることが必要なのか、大規模な神社によくある太鼓橋のように、天空に弧を描いて橋は架かっていた。
いや、かつて架かっていた、ということか。
いま橋は途切れ、橋の役目を果たしていない。そのかわり、すぐ隣に車も通れる立派な橋が架かっている。橋の入り口は、両方とも封鎖されていて、傍らには小綺麗な説明板が立っていた。そこにはこう書かれていた。

開閉橋
塩田と対岸の陸を結ぶ、汐入川に架かる橋である。
竣工当時は木造であったが、大正15年(1926)に、コンクリートに改造された。
汐入川が運河の役割を果たしていたため、船(上荷船)が通航する際、
船から竿で橋の中央部分を横にはねて開閉し、帆柱を通過させていた。

真ん中の途切れ部分は、崩壊してなくなったのではなかった。
途切れた橋のあたりを眺めながら、小さな船がここを通る姿を想像した。
船は静々と進み、天に突き出た帆柱が橋の頂点部分の空間をぴたりと通過していく。
手慣れた乗員が、事も無げに竹竿を操る。
こういう橋が、かつてはあちこちにあったのだろうか。

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考えてみると、ある程度大きな橋というのは、水面からかなり高いところに架かっていると思う。振り仰ぐような天空高く。
それはつまり、大きな船でもその橋を潜れるように架かっているということなのだ。
海峡や島に橋を架ける場合、橋の下を船が航行できるようにしなければならないのだな。そのことに初めて気づいた。
しかし、天空高く天翔ける橋を架けるとなると、構造も大規模になり費用もそうとう嵩むことになるのだろう。

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それで、小規模な橋の場合、帆柱の高さと橋の高さと、お互いが妥協するということになるのだろうか。
橋は船の本体が通れるくらいの高さにするが、帆柱だけは高すぎて通らない。それで、開閉橋のような工夫をしたということだ。橋は架けるが、船をどうやって通すのか。そこでさまざまな形の橋を工夫する。
例えば跳ね橋。
橋は低いところに架かっていて、大きな船は引っ掛かって通れない。そこで、橋の真ん中がぱかっと割れて左右に跳ね上がり、船の通り道をつくるというものだ。
東京・隅田川に架かる勝鬨橋は有名な跳ね橋だが、開閉しなくなって久しい。瀬戸内海にもさまざまな形の跳ね橋が、まだ残っているらしい。しかしそれも、交通量の増加等、時代の流れによって姿を消しつつあるとのこと。

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 行ける島には端から端まで全部行くが、渡れる橋も端から端まで全部渡る。
そして、さまざまなおもしろい橋を、端から端まで見て歩きたい。

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